総合情報誌RinRin Vol.236[立冬] 2019年11月

- ページ: 5
- 選手時代にはできなかった ﹁恩返し﹂ を いま実践︒ バドミントンのおもしろさ ・ 楽しさを広く伝えていきたい!
形ですね。 スポーツは、 まずは 好 きになること、 楽しいと感じることが一番大事だと 思 い ま す 。私 に と っ て は そ れ が 陣 内 さんと 「羽 根 を 打 つ」 こ と で し た 。そ んな経験を、 一人でも多くの子どもた ちにしてもらえることをめざして取 り組んでいます。 でもそれは、 すべて自 分のためにやっ て き た こ と で、 まわりの人たちに何 も恩返しをしてきていないなと思う ようになったんです。 バ ド ミ ン ト ン に 恩 返 し す る 。ま わ り の 皆 さ ん に 感 謝 を 伝 え た い 。そ ん な 想 い か ら、 バドミントンのおもし ろ さ や 魅 力 を、 選手時代の熱量をそ のままに伝えていきたいと日々考え て い ま す 。さ ら に バ ド ミ ン ト ン に と ど ま ら ず、 スポーツ全般の素晴らし さを 伝 えていくことができたらと 思 っ ています。 ドミントンのおもしろさを一人でも 多くの皆さんに伝えていくことが、 い まの夢です。 選手時代││高校生から社会人の 前半の頃までは、 とにかく勝ちたいと がむしゃらに取り組んでいました。 自 分が勝つためにどうするか。 それしか 考えられませんでしたし、 視野がすご く 狭 か っ た で す ね 。そ の な か で 、 時に はつまづいたりしながらも、 オリンピッ クに出 場するという夢がかないました。 バドミントンは生涯スポーツです。 年 齢・性 別 を 問 わ ず 、 相手が一人いれ ば誰にでも楽しめるスポーツなんで す。 来 年のオリンピックを目 前に控え、 バドミントンの世界もものすごく盛 り上がっていますので、 皆さんにもぜ ひ、 バドミントンをやってみてほしい ですね!
選手の陣内貴美子さんが地元に来て く だ さ い ま し た 。そ の と き に 、 どんな 練習をしたかはあまり覚えていない のですが、 陣 内 さんと 「 羽 根 を 打 った」 ということだけは今でも鮮明に覚え ているんです。 自分自身にそんな経験があるせい で し ょ う か 。現 役 引 退 後 、 全国を回っ て子どもたちに指導や練習をするな かで、 何かひとつでも印 象に残ったり、 思 い 出 に な っ た り、 「バ ド ミ ン ト ン が もっとうまくなりたい」 と考えるきっ かけになったりすることができると、 嬉しいなと考えています。 私 は 子 ど も が 好 き で、 小さい頃は 保 育 士 に な り た か っ た ほ ど 。現 役 時 代から、 合間を見ては、 子どもたち相 手 に 講 習 会 を 開 い て い ま し た 。そ う し た、 私が以前からやりたかったこ と に、 いま本格的に取り組んでいる
私 が 中 学 生 の と き、 バドミントン
バドミントンは生涯スポーツ。 ぜひ楽しんで!
子 ど も た ち へ の 指 導 と 並 行 し て、 バ
小椋久美子さん プロフィール
陣内選手と ﹁羽根を打った﹂ ことをいまも鮮明に記憶。
みえの国観光大使、 YONEX アドバイザリースタッフ、 日本バドミントン協会広報部。
権では5連覇を達成。潮田玲子選手とのダブルスペア 「オグシオ」 の愛称で親しまれた。
への指導を中心にバドミントンを通じてスポーツの楽しさを伝える活動を行っている。
1983年生まれ。三重県出身。8歳の時、 姉の影響を受け地元のスポーツ少年団でバド
2010年1月、 現役を引退。同年3月、 三洋電機を退社。現在は解説や講演、 子どもたち
スプレーヤーに転向し、 北京オリンピックで5位入賞、 全日本総合バドミントン選手
ミントンを始める。中学卒業後、 四天王寺高校へ進学。2000年に全国高校総体でダ
ブルス準優勝、 2001年の全国高校選抜でシングルス準優勝を果たす。三洋電機入社
後の2002年には全日本総合バドミントン選手権シングルスで優勝。その後、 ダブル
小椋久美子
さん
わたしと夢 わたしの夢
5
- ▲TOP