総合情報誌RinRin Vol.242[立夏] 2021年5月

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- 「船越義珍杯 第14回世界空手道選手権大会 形の部」 優勝。 現在は ( 一社 )
日本伝統空手協会、 本部道場 「空優会」 の指導員として活動中。 松濤館流、 日
空手を学ぶ。 2015年から、 「内閣総理大臣杯 全国空手道選手権大会 個人形
1989年10月25日生まれ。 新潟県出身。 小学2年生から、 師である父親の下で
の 力 を 発 揮 で き た ん で す 。そ ん な 気 持 空手を始めたきっかけは小学 2 の と き、 空手の先生だった父から勧め ら れ た こ と で し た 。新 し い 技 や 動 き を 覚 え る こ と 。で き た と き の 達 成 感 。そ ん な と こ ろ に 楽 し さ を 感 じ て、 ずっと 続けたいと思うようになりました。 父は空手を本当に楽しそうにやって い ま し た 。何 か ひ と つ の こ と が で き て 終 わ り で は な く、 ゴールがないといい ま す か、 いつも空手を研究し続けてい ま し た 。そ の 姿 に 憧 れ て 、 いつか父の よ う に 研 究 し て い け た ら い い な と、 そ れが夢でしたね。 で も、 十代のときは自分の空手をす る の で 精 一 杯 で し た 。そ れ が 変 化 し た の が 二 十 歳 の 頃 。将 来 は 指 導 員 に な り た い と 思 う よ う に な り、 それまでのよ う に 自 分 の 力 を 発 揮 す る だ け で な く、 現在は、 日本伝統空手協会の指導員と し て、 後 進 の 指 導 に あ た っ て い ま す。 指 導 員 と し て、 技 術 を 覚 え、 心も一緒に鍛 えられる空手の楽しさを伝えることが できるので、 とてもうれしく感じていま す。 こ れ か ら は、 心も技も正しく継承し ていくことが私の目標であり、 空手を通 して、 たくさんの人が幸せになることが 私の夢ですね。 つながりました。 そ の 後 も、 指導員になることをめざ し て 空 手 を 続 け、 あ る と き、 空優会の 髙 橋 優 子 代 表 に 出 会 い、 声をかけてい た だ き、 指導員としての一歩を踏み出 すことができました。 年生 ち の 変 化 が、 試合や大会でも好結果に
な が り ま す。 で も、 そ れ だ け で な く、 失 敗や負けることも大切です。 「失敗は宝物」 です。 失敗を自分の力で 乗り越えようと努力する。 それが自分の 成長につながりますし、 空手を通じてそ れを学んでほしいなと思っています。 私 自身も、 試合に負けたときにそんな風に 教えていただいて、 ああそうだなと思っ た経験がありますので、 指導する中で子 どもたちにもそう伝えています。 周囲の 皆さんももし、 子どもたちが失敗したと し て も、 そ れ を 否 定 せ ず に、 応 援 し、 見 守ってあげてほしいなと思います。 空手を辞めたいと思ったことは一度 もありません。 生きていくうえでの修行 だと思っているから、 そもそも 「辞める」 という選択肢がないんです。 何かイヤな ことがあったら、 周りの人の力も借りな がら乗り越える方法を考える。 それを考 え学ぶ場が空手だと思います。 これから もそんな想いで空手の道を歩んでいき たいと思います。
﹁失敗は宝物﹂ ︒乗 り 越 え よ う とすることが大切︒
生徒のために指導するということを意 識 し 始 め て、 「誰 か の 目 標 や 憧 れ で あ
り た い」 と 考 え る よ う に な り ま し た 。 空手に限らず他のスポーツや趣味、 勉
日本スポーツ協会空手道コーチ。
空手を楽しそうに 研究し続ける父の姿に憧れて︒
し た の で し ょ う 。試 合 で 、 いつも以上
それが自分の中でも良い方向に動き出
強などもそうですが、 試合に勝ったり目 標を達成したりすると、 自身の成長につ
本伝統空手協会六段。 ( 一社 ) 東京都空手道連盟ジュニア強化委員 。 ( 公財 )
夢 をか なえて︑ 空 手の指 導 員 とし て活 動 中 技術も心も鍛えられる 空手の楽しさを伝えたい!
の部」 5連覇。 2015年、 「アジア ・ オセアニア大会 個人形の部」 優勝。 2017年、
髙木綾乃
さん
わたしと夢 わたしの夢
髙木綾乃 さん プロフィール
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